リョ曰く(曰ってない)
- idennsi .
- 2024年2月15日
- 読了時間: 2分
更新日:2024年2月16日
司馬遼太郎の文章は、とにかく格好いい。
それでいて、ものすごく読みやすい。もちろん難しい単語も使われているけど、文章自体が読みやすいから、難しい単語の格好良さだけを享受できる夢のようなつくりになってる。
いわゆる語彙力というものは、使える単語の多さだけを指すのではないと思うようになったのもこの人の文が始まりだった。
語彙自体は平易でも、書いてる人の感性にピッタリ合うような言葉で書かれていれば、個性的で面白い文章になる。つまり、言葉の組み合わせ方も語彙力のひとつなんだろうなという個人的な解釈をしてる。
しかし世のいい文章を書く人は語彙以前に、そもそも感性(視点や考え方や発想)が面白い。ていうか感性が文章の面白さの90%を占めてると思ってるから、語彙に惹かれるくせに、そんなに重要なものでもないと思ってる。
とはいえ、「自分の思ってることって、本当にこの単語に当てはまるのか?」と立ち止まることで、自分の考えがハッキリしてくることがあるので、感性と語彙は相互関係があるのは確か。
感性は百朝百夕でどうにかなるものではないので、コチラはせっせと言葉の品定めをするのみ。
形のない感情を込めるには柔軟さに欠けるこの言葉というハコは、少なからずその人の感性を取りこぼす。
その取りこぼしに私は鈍感な方だけど、それが苦痛で、そもそも言葉で表現できない感性を持ってる人もいる。そういう方の描く絵は、言葉に縛られないのびやかな美意識が、そのまま紙面に存在しているように感じる。
つまり言葉も絵もサイコーってコト。
サイコーなものをひとつ増やしてくれた司馬遼太郎に、サイコーの感謝を。